まどろみにたゆたう

前回の記事に、
恥ずかしい文章を書く気力なんてもう残っていない、
などと書きつつ、次の回には平然とよく分からない文章を載せてみる。
日記ってそういうもんだろう。

去る二月五日、大学院生活での天王山とも言える修士論文の発表を終えました。今年の頭あたりには全くもってどうしたものかと言う状況でしたが、相変わらず私の悪運も尽きるところを知らず、このまま何事もなければ卒業できそうであります。正直二年もあるとダレる、とは聞いておりましたが、いやはや全くそのとおりで、締め切り駆動型の私などに於きましては、長い長いまどろみにユラユラとたゆたっておりました。

それでもおそらく分かったのは、私は研究者には向いていないだろうということです。それは私の性分云々を抜きにしても、例えば、プログラミングという行為が好きで、プログラミング言語およびその処理系へと興味が傾いていったにもかかわらず、きっと情熱が足りなかった所為で、ついに現状のプログラミング言語に致命的な不満を見つけることができなかった、ということがあります。しかしながら、その不満というのはそんなに必死になって探さなければならないのかというと、どうもそうではないように思ってきて、そう思っているのなら、そういうことをこれ以上突き詰めていっても待ち受けるものは停滞であるようにも思います。ともかく、こんなことは分かりきっていたことですが、私はもっとコードを書きなさい。自分がコードを書く能力以外で他人に評価されたことがあったのかということです。

そうしたわけで、修論が終了したわけですが、そのような抑圧された状況では別のことがやりたくて仕方がなくなってくるもので、今は書きたいプログラムや書きたい文章で満ち満ちております。ようやく落ち着いてきたので、これから徐々に書いて公開していければと思っています。高校生以前の私があんなにプログラミングに入れ込んでいたのは、受験勉強という抑圧が私を現実から逃避させようとしていた結果だったのかもしれません。本質的には私は昔から何も変わってはいないのです。

はてさて、こんな私も春には晴れて社会人になるということですが、そんな日が無事に訪れようとは、全く感慨深いものです。朝起きられなくて学校に行くのが苦痛で仕方のなかった小学生時代、色々な能力が開花したものの真人間としては完全に終わってしまった中学生時代、無事に卒業できたことを担任の先生に感謝してもし切れない高校生時代、心の闇がついに体を蝕み始めた大学生時代、そうして今ここにいるということを考えると、まさに感慨もひとしおです。私を支えてくれた両親、そしてすべての人に感謝します。

さて、さしあたっては、ここのところ全くできなかった部屋の掃除でもしようかと思います。いい加減足の踏み場がなくなってきたので…。