後期試験

今日、明日にわたり、後期試験が行われているようだ。
何を隠そう、私も後期試験で入った一人なので、
後期試験というものには特別な思い入れがある。
その後期試験も今年を最後に終了してしまうらしい。


少し前にドラゴン桜なる東大合格を目指すストーリーのドラマが放映されていた。
そこにおいて、"東大など簡単だ"などという台詞を耳にしたのだが、
なら京大はもう寝てても入れるぐらい簡単だな、と思ったりしていた。
いや、東大が簡単というのは否定しない。
優秀な学者になるべき人材などやすやすと東大に入れるはずだし、
現にそういう人を私は何人も知っている。
要は東大生だってピンきりなのだ。
しかし、それでも東大はある程度のレベルを保っていると思うし、
底のレベルは低くないと思う。
その根拠は東大の入試システムにあると考える。
東大は入試の区分が(理/文)1〜3の6種類しかなく、
特に理系に限ると異様な合格最低点を誇る理3を除いて
理1と理2、どちらかが極端に入りやすいということも無い。
受験生を大きなプールに集めてそこから選別するというのは
学生の質を安定させるのに有効なのだと思う。


そう、なんだかんだ言っても東大の合格最低要件はある程度高い。
そこで京大の話になるのだが、
京大は東大のように大きな区分で受験を行わず、
(他の多くの大学がそうであるように)最初から学部・学科単位で受験が行われる。
受験生を細分し、そこから個々に選別するという方式なので、
どうしても学部・学科間格差が生まれる。
たとえば工学部内だけでも、合格最低点の高いところと低いところでは
100点ほども差が有り、これはどう考えても無視できるオーダではない。
我が情報学科も私が入った年は難しい方だったのだが、
去年のデータを見てみると平均点はそこそこ高いが
合格最低点は最低レベルという良く分からない状態になっている。
(これはむしろ同一学科間ですら学力格差が生まれているということなのだが、
とりあえず今はこれはどうでもいいのでおいておく)
工学部内だけでもかなり格差があるのだから、
これが全学となるとさらにレベルはまちまちとなる。
その最たる例が○○部○○学科が定員割れに近い状態、とかで、
もはや京大は学部を選ばなければ
ほとんど誰でも入れる状態だと言っても過言ではない(…のかな?)。


しかし、やはりそういうのはあまり嬉しくないというか、
興味のもてない分野を最低4年も勉強しなければならないというのは
拷問に近いものであるので、
望まない学部を選ぶというのはやめることにする。
私は工学部に行きたかった…ので、以下ではとりあえず工学部について考える。
(工学部に行きたくない人にはちょっとどうでもいい話になります)
工学部もピンきりとはいえ、やはり最低レベルはそこそこで、
あるいは年によりまちまちで、また自分の行きたい学科が
今年レベルが下がるかどうかも分からない。
結局正面から入ろうと思うと京大にしてもある程度は勉強しないと難しい。
しかし、私ははじめに寝てても入れるぐらい簡単と書いた。
そう、京大工学部にはとんでもない抜け穴があるのである。
それこそが後期試験であり、ろくに受験勉強もしていなかった私が
あろうことか滑り止めに受けろと高校の担任の先生に言われて
実際に滑り止めになった脅威の試験なのである。


ここで工学部後期試験について軽く説明しておこう。
試験については基本的には各学科異なるのだが、
おそらく共通だと思われることは一つ。
"変な試験"であるということ。
後期試験においてはこれまでやってきた受験勉強というものを徹底的に否定される。
嫌がおうにも皆が同じスタートラインに立たされる。
センター試験の成績すらリセットされる。
頼りとなるのは己が思考力のみ。
他人より秀でた思考力を示せた者がみごと敗者復活を果たせるのだ…。


…というとえらく大層に聞こえるし、実際に普通の受験生がするような
受験勉強しかしてこなかった人にとってはあながち間違いではなかろう。
ところが実際には皆同じスタートラインとはいえない。
各学科の試験においてはそこで研究を行うにあたって
適性になると思われる能力を重点的にチェックされる。
たとえば建築の試験だと空間認識能力を問われるようなものが出ていたような気がするし、
情報だと主にアルゴリズム的発想力を問う試験が出される。
これは直接的に知識は問われないとはいえ、
実際のところかなり経験がものを言うものだ。
たとえば、アルゴリズムのアの字も知らないような人と
日々プログラムを作りまくって、色々なアルゴリズムを実装している人、
どちらがアルゴリズム的発想に長けているかは一目瞭然なわけで、
こういう試験はそういうあらかじめ特定の学科に適性のある人にとっては
非常に有利なものだったりするのだ。
もちろん私はここでいうプログラムばかり作っていた人なので、
あたかも当然のように試験をパスすることができた。
これは有る意味当然で、こんな試験で
プログラムを書いたことの無い人に負けていては、
まったくもって何をやってきたのかということになる。


このように京大工学部にはかなり裏っぽいというか、
抜け穴というか、実にすばらしいものがあった。
今年受験生のプログラム馬鹿の人が居て、情報系学科に行きたいなら、
ひたすらその能力を鍛えて京大情報に行くのも一考では?
あるいはそうでなくとも今からアルゴリズムを考える訓練を繰り返して
一点突破を狙うのも一考では?やっていない人を超越するのは容易いはず?
…ということを今年の9月ごろに書こうと思ったのだけど、
結局書くのを忘れていた。何のアドバイスにもなっていない。
まぁ、こんな文章をアテにされて受験生から苦情が来ても困るので、
事後ぐらいでちょうどいいか。


とにもかくにも、どうやらその後期試験が今年で終わってしまうということなのだ。
確かに問題セットを考えるのは大変だろうし、
教授総出で面接を行うのも大変だとは思う。
しかし、後期試験廃止の理由として労力のほかに
才能ある学生の選抜に役立っていない、などとあったのはショックだった。
まさに私は京大に入らなくても良かった人材というか、
間違って入れてしまったような人材だというか、
そういうことなのだと言われたようなもので、
このことは私が京大から離れようと思った遠因でもある。
これはまったく酷い言われようで、
私の努力が足りなかったのか、
京大の学生評価がおかしいのか、
どちらにせよ、外に出て名を上げて
京大にはせいぜい後悔をしてもらおうと
そう反骨心を燃え上がらせている次第なのである。


何の話だか良く分からなくなってきたが、
要するに、後期試験の終了は非常に残念である、と
元後期試験合格者から言わせて頂きたい。
"京大らしさ"というものがまた一つ失われたのではないかと
そう思われて仕方がない。